嵐
七月十五日 嵐嵐がくるという。雨戸をたて、家中のそこかしこに蝋燭を置き、念のため風呂桶に水をためる。準備万端整ったところで、茶の間に腰をおろすが、する事がない。暗いし、蒸し暑いし、退屈である。なんだか息苦しくなってきて、たまらずに縁側の硝子戸をあけ、少しだけ雨戸をあけてみた。薄めた水色と鼠色を混ぜ合わせたような雲が、押し合いへし合いしながら、やってくる。突風が吹くたびに、雲は一斉に渦をまき、くるりくるりとまわりはじめる。まるで風ぐるまのようで、見ていると目がまわる。竹に絡んだ朝顔も、さすがに今日はつぼんでいる。天気や気分によって、閉じたり開いたりするらしい。賢いのか、横着なのか、よく分からない花である。そういえば、今朝から獏を見ていない。どこかに隠れているのだろうか。嵐が苦手なのだろうか。なんだか寂しくなってきて、こいびとの声を聞こうと受話器を握る。が、呼び出し音もしないうちに、女の声が聞こえてくる。只今電話がつながりにくくなっています。音声テープかと思って、黙って耳を傾けていると、もしもし?と、女が問いかけてくる。あ、あの。電話は。「只今、つながりにくくなっています」同じことを繰りかえすだけの女に、ほんの少し腹が立ち、つっけんどんに聞きかえす。じゃあ、いつになったら、つながりますか。さぁ。さぁ?やけに遅いのよねぇ、この嵐。急に物憂い声になって、女が答える。さっさと行ってくれないと、こっちも商売あがったりよ。あがったりよ、の「よ」が、やけに色っぽい。つい聞き惚れていると、大きな溜息とともに、受話器から生温い風が洩れてきた。驚いて、受話器の穴を見つめるうちに、ぷつりと音がして電話が切れる。それっきり、じー、とも、つー、とも言わないで、ただ押し黙るばかりである。細く開いた雨戸の向う、縦長の空をからすが一羽飛んでいく。風に流されながらも懸命に、どこかを目指しているらしい。きっと家に帰るのだろう。七つの子が待っているから。よるべない嵐の日は、暗くて、蒸し暑くて、すうすうと寂しい。---------------- 8×キリトリセン ---------------- 旅のあいだの、うそ日記。さかのぼって、ぽつぽつ更新いたしました。さかのぼって、読んでいただければ幸いです。